おぼえがき

新しいことはやってみなくちゃわからない。

下島、ブログやめるってよ

 

 

 

生きる意味ってなんなんでしょう

 

 


はじめてこの問いを意識したのは、もう10年以上も前だったと思う。


そのときは、「死にたい」という意志が先にあって、そこを通して生じた問いだった。


ぼくやぼくのまわりの道徳観は「死んではいけない」を強要して、なんとかその意志を消そうと試みた。


生きる意味なんて考える意味がないとも思った。


思考の放棄とも呼べるその意識は、なにより便利なもので、ぼくも随分と長い間お世話になった。


けれども、なんでも便利であるってつまらないことだ。


生きがいも死にがいも失ったぼくは、ただただ明日のために存在する中高生だった。

 

非電化工房なるものに出会ってしまったのは唯一の誤算で、

 

おかげで明日のために存在する中高生は、明日のためだけには存在できなくなった。


一年の修行を経て(ココは割愛)、ぼくの思考は解放される。

 

 

生きる意味とは。

 

 

今度は「生きたい」という意志を通して、問いが発せられた。


ぼくのまわりにはもう、「死んではいけない」を強要する道徳観はいない。


生きることは死に近づくことだと知り、それは自分が望んでいることだとも知った。

 

 

ぼくは死んでもいい。

 

 

そして同様に、ぼくは生きてもいい。

 

 

今なら思うのだが、たぶん、「死にたい」の意識の中に住む人に、「死んではいけない」と思い込ませても、それは根本的に間違っている。


生きている世界の中で話しちゃってるというか。


人間界を脱しようとしてる人に対して、人間界のルールを教えているというか。


もっと、実際に生きがいを呼び起こさせることの方が大切だ。

 

 

死んでもいいと思って生きること。

 

 

その意識は、「不安」という概念を存在し得なくすると思う。


競争社会を司る「不安」の存在は、(控えめに言って)すべての社会システムにおける課題の根源であるとさえ感じてるので、


その概念から脱することができれば、人間は自分の行動を自分の理念に従って見出せるようになるのだと思う。


とにかく、世界がそんな行動で溢れたら〜って妄想すると、ちょっとワクワクする。

 

 

世の中が不安なのではない。


ぼくらの不安が今の世界をつくっているに過ぎない。


目の前の不安という幽霊を、勇気を持って直視したとき、それはただの白い布切れだったと知る。(by藤村先生)

 

 


生きる意味なんてない。

 

 


そう感じることはあるけれど、案外そう言い切ってしまうこともできないんじゃないかと思う。

 

 

なぜなら、「生きる意味がない」ことは「生きる意味がある」ことをもあらわしている。

 

 

それは、こうして生きている中に、「生きる意味なんてない」という意味を付与している、と言えるのだから。

 

 

てか、生きる意味があるかないかは、人間的にはどうでもいいんだと思う。

 

 

生きていながら生きる意味について考えるとき、その思考行為は、ぼくらを宇宙(の真理)に近づけてくれる。気がする。

 

 

そして、だからこそ、見出し続けていきたい。

 

 


生きる意味ってなんなんでしょう

 

 

 

ウンコの話をしないか

 

ぼくは今、韓国にいる。

 

ウンコを売るために。

 

f:id:shimojimoma:20191122201235j:image

ちゃんとそれ用につくったパンフレット。

 

ソウルにあるイノベーションパークというところで開かれた手仕事マルシェ。

 

文字通り革新的な団体の集まるここで、ぼくは革新的なウンコを売りに出した。

 

ウンコを売る目的はこうである。

 

1.ウンコの大切さ(可愛さ)を見直してもらうため

 

2.日韓関係の融和化

 

3.安全な蚊取り線香を届けたい

 

この3つ目ではっきりするのだが、ぼくが売ったのは、ウンコではあるのだがウンコではない。(哲学的)

 

ウンコ型の蚊取り線香であった。

 

f:id:shimojimoma:20191122201306j:image

火をつけるとローズマリーのいい匂いがプ〜ンと放たれる。

 

蚊取り線香と言えば緑色のぐるぐる。

 

けれどもちろんあれは合成剤の色で、企業の効率のための形状で。

 

もっと安全で可愛いのを届けたいという思いから、ぼくは天然素材のみで作った蚊取り線香を出店したのだった。

 

ちなみに、“除虫菊の粉末” と “椨粉” を1:1で水と混ぜ合わせて、2〜3日程乾燥させれば誰でも簡単に作ることができる。

 

お試しあれ。

 

f:id:shimojimoma:20191122204541j:image

制作風景。ウンコの隣にあるのは一緒に販売したかたつむり型の蚊取り線香。なぜかこっちは全然売れなかった。

 

そしてマルシェ当日、

 

多くの人がぼくのウンコを買ってくれて、たくさんの人がぼくのウンコを笑ってくれた。

 

それはもう、ウンコがとぐろを巻くくらい嬉しかった。

 

自分のつくったものに価値がつけられたという喜びと、手作り蚊取り線香の魅力と、ウンコの大切さ(可愛さ)を伝えられたことに。

 

そしてまた、ぼくの心と韓国の人の心が少しでも繋がったことに。

 

「日韓関係の悪化」とことあるたびに騒がれているけれど、それを決めるのはメディアやマスコミではない。

 

ぼくら一人一人の意識が判断するべきだと思う。

 

少なくとも、ぼくは今この時期に韓国に(ウンコを売りに)来れてよかったと思っている。

 

もし誹謗中傷を浴びせられたときには、それはぼくの意識を「当事者」にしてくれる唯一の方法となり得たのだとさえ感じる。

 

(実際にはそんなことなかったわけだけど。)

 

それは、あらゆる問題解決のためのとても大事な意識であると思う。

 

メディアの情報に左右されて相手を意味なく特徴付けたり、解決策を講じるより先に自分の正しさを強調したり、あるいはそういった世間から他人事のように目を背けたり、

 

 

もうそうゆう社会の風潮やめないかって思うわけです。

 

 

今回のウンコがそこまでのメッセージを持っていたとは言わないけれど、

 

今回のウンコがそこまでぼくの思考を導いてくれた。

 

 

 

 

 

ありがとウンコ

 

 

 

 

 

トイレの話をしないか

 

今日、トイレに行った。

 

おおきい方。

 

そしたら驚いた。

 

個室のドアを開けた瞬間に便座の蓋がウィーンと上がったのだ。

 

「いらっしゃいませ」とでも言わんばかりに。

 

いや僕もね、噂では聞いたことがあったんだよね。

そうゆう新便器があらわれたってのは。

 

でも実際に出逢ったのははじめてだった。

 

それだけじゃないよ。

 

近づいた途端プシューと洗浄が始まって新しい水に入れ替わったんだ。

 

「どうぞお座りください」とでも言わんばかりに。

 

いや僕もね、噂では聞い・・・

 

 

ラベンダーの香りに包まれながら、

 

小鳥のさえずりを聴きながら、

 

暖かい便座に座りながら、

 

ぼくは思う。

 

 

 

いるかなぁこの機能。。。

 

 

 

便座を立ったらまた自動で流れて自動で蓋が閉まって、

 

(ちなみに尻は自動で拭いてくれなかった。)

 

トイレを出て、スマホ開いたらこんな記事を見つけた。

 

美しすぎる57万円の次世代トイレ。TOTOの最先端機能とデザインが融合 | ROOMIE(ルーミー)

 

「知れば知るほど欲しくなる」かなぁ。。。

 

もう「エアインワンダーウェーブ洗浄」とか、名前からしてやり過ぎなんじゃないかと心配になるくらいだけど。。

 

ぼくもオールウェイ痔*なのでウォシュレットには感謝してるし、やっぱりトイレがアートであることは美しく素晴らしいことだと思う。

 

それに、(57万円とか)ぼくには恐らく縁のない世界のトイレだとは思うけれど、それでもぼくはあって然るべき世界のトイレだとも思う。

 

それが今のこの世界を作ってきたハイテクだから。

 

そう思うけれど、思うけれども、

 

「この星を救うのはハイテクではなくローテクだ」

 

大切な人はぼくにそう伝えてくれた。

 

きっと大事なのは技術の高さじゃない。

 

もちろん技術の低さでもない。

 

その技術が “人間性の発展に貢献する” ことだ。

 

ローテクにはその余裕(可能性)がある。

 

 

ぼくらはもう少し “便利” を減らしてみてもいいのかもしれない。

 

 

失ったはずの多くの “何か” を取り戻すために。

 

 

 

 

 

と、まあ面倒くさいこと書き始めたので(水に流して)トイレの話に戻ろう。

 

えーっと、冒頭から3行目。

 

ぼくは驚いた。

 

何にかは前述の通りで、それに加えて大きな理由がある。

 

 

水洗トイレが一ヶ月ぶりだったんだ。

 

 

いや安心したまえ。

一ヶ月腹のなかにため込んでたとか、痔がひどくなって肛門が塞がっちゃったとか、家のトイレが壊れてお風呂でしてたとか、そうゆう話ではない。安心したまえ。

 

自然から頂いたものは自然に還していただけだ。

 

ノグソフィアとも言う。

 

f:id:shimojimoma:20191120113631j:image

↑ぼくのトイレ。ここの広さどこでも自分のしたい場所でノグソれる。自然を感じられる最高のロケーション。ちなみに、夜は満点の星空がぼくを包む。

 

もしこれを読んで、え、野糞?って思われた方は、ぜひこの機会に自分のトイレ生活を見つめ直して欲しい。

 

ぼくらのお尻から放たれたウンコは、当然どこかで処理されているわけで。

 

ピッコロの魔貫光殺砲のように、一瞬にしてウンコを消滅させられるならいいのだが、

 

残念ながらぼくらは魔貫光殺砲を使えない。

 

そもそもナメック星人にはなりたくない。

 

(詳しいことは、ドラゴンボール第14巻を読んでね♡)

 

それって屠畜場から運ばれてくる豚肉と同じで、アフリカから運ばれてくるチョコレートと同じで、あるいは原発から運ばれる核のゴミと同じで、

 

莫大な労力とお金とエネルギーを浪費して、ぼくらの見えないところで生産・処理される。

 

 

もうそうゆう社会システムやめないかって思うわけです。

 

 

せめて生活の中でそれらを感じられるようになったり、それぞれがちょっとずつそれらを分担できたら、確実にもっと生きやすい世の中になると思えるのです。

 

 

例えば食べるものを自分で育ててみるとか、

例えば電気を自分で生み出してみるとか、

例えばウンコを自然に還してみるとか、

 

 

ウンコを自然に還す行為は、ぼくらと地球が相互関係にあることを教えてくれる。

 

 

そしてそれを知ったとき、ぼくらは地球から受け取るものを大切に扱うことができるようになる。

 

 

 

のかもね。

 

 

 

オールウェイ痔*・・・普段から痔を持っている人のこと。トイレやウンコと同じで、痔だって恥ずかしいことではまったくもってないよねってぼくは思う。もっと気軽にそうゆうこと話せたらいい社会になるのにね。かもね。

 

 

 

 

 

※追記

 

さすがにノグソフィアは刺激が強すぎるという人には、「バイオトイレ」をご紹介したい。

 

密閉できる容器にウンコをして、おが屑やもみ殻などを混ぜれば、水分の吸収とともに微生物がウンコを分解してくれる、というもの。

 

これならノグソれる環境のない都会でも可能だし、溜まったウンコは畑や園芸の肥料としても活用することができる。

 

もちろん電気や水を使用しないので環境への負荷もなく、実際に次世代型トイレとしても注目されているのだ。

 

受賞論文【佳作】 バイオトイレは次世代型トイレとなりうるのか | 中央大学

 

時岡くんありがとう

 

 

 

疣贅

f:id:shimojimoma:20190629203008j:image

 

下島匠です。

 

 

はじめに、

 

 

私事で恐縮ですが、

 

 

一ヶ月前に書いた記事、

 

 

まったくどうやらとってもなんだかで、

 

 

ブログの読者100人以上を失う結果となりました。笑

 

 

ということで反省致しまして、

 

 

今日は イボ のお話です。

 

 

それではどうぞよろしく

 

 

疣疣疣 もくじ 疣疣疣疣疣疣疣

疣疣疣疣疣疣疣疣疣疣疣疣疣疣

 

 

ちいさなきみへ。

 

数年前から、

 

既にお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、

 

そう、ぼくの顎にはこいつがいる。

 

f:id:shimojimoma:20190629205724j:image

アイスクリームを食べる時も、


f:id:shimojimoma:20190629205737j:image

ぎょうざを食べる時も、


f:id:shimojimoma:20190629205728j:image

お餅を食べる時も、

 

 

 

 

いつもぼくにはきみがいる。

 

 

 

 

最近思うのだが、

 

 

 

 

ひとつきみに伝えたいことがある。

 

 

 

 

そろそろどこかへ行ってはくれないか

 

 

 

 

イボとは何者か

 

 

さっさと撃退してしまいたいところであるが、

 

 

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」

                                                      (『孫子・謀攻篇』より)

 

 

まずは彼であり己の一部である イボ のことを知らなければ、そこに(治療に)勝算はないであろう。

 

(と、ぼくは考えた。)

 

 

 

我らがウィキペディアによると、

イボ とは、皮膚にできる出来物である。                 イボ - Wikipedia

とのこと。

 

 

 

 

なるほど。

 

 

 

 

では、イボ は一体どうして我々の前(顎)に現れたのか。

 

 

その誕生の秘密を探るべく、さらなる探求を続けると、なんとも興味深い資料に出会った。

 

 

 

f:id:shimojimoma:20190630153732g:image

https://www.dermatol.or.jp/qa/qa23/q02.html

 

 

公益社団法人日本皮膚科学会JDA)による、恐ろしい模式図である。

 

 

つまりは、皮膚の小さな傷から入り込んだヒトパピローマウイルスに基底細胞と呼ばれる角化細胞が感染し、活発化した細胞分裂によって増え続けた感染細胞が塊となり、イボ ができたというわけである。

 

 

 

なんということだ。

 

 

 

🦠

 

 

 

それにしてもいつ顎を怪我したのだろう。

 

 

 

父親の髭剃りをこっそり借りて生えてきたての顎髭をはじめて剃ってみた時であろうか。。

 

 

 

まあそれはいいとして、じゃあ肝心の撃退法である。

 

 

 

 

いぼよさらば

 

 

イボ の治療法には、いくつかあるらしい。

 

 

液体窒素凍結療法

・ハサミやメスによる切除法

・電気焼灼法

・横山製薬イボコロリ

・なんか他にも色んな塗り薬(外用療法)

・薏苡仁内服療法

 

 

結論から言えば、ぼくは最後のを選んだ。

 

 

なぜかと問われれば、要はどれでもいいということにある。

 

21世紀の今現在となっても、イボ の治療法に一撃必殺技はなく、また100%抹消も不可能なのである。(らしい)

 

どの方法が一番効くのかは、人によって異なり、つまり試してみなければわからない。

 

 

 

そこで、ぼくはこれを判断要素とすることに決めた。

 

 

 

「愉しく イボ とお別れすること。」

 

 

 

なにしろせっかくぼくの顎を選んで来てくれたのだ。

 

 

こちらの勝手で傲慢な意思によって追い出すのではなく、ゆっくりとお互い気持ちよくさようならをしたい。

 

 

 

そうなったときに、、、上5つの治療法では正直言ってぜんぜん愉しくない!!!

 

( イボ の身にもなってみればすぐわかることである。)

 

 

 

注:残念ながらこのブログは イボ ができてしまった人が読むためのブログではなく、あくまでもぼくの顎の下に住む イボ にどこかへ旅立ってもらうためのブログであるので、他の療法は詳しく紹介致しません。もし前述のような理由でこのブログを閲覧されている方は、各自お調べください。

 

 

 

では、薏苡仁内服療法とは。

 

 

簡単である。こうゆうことだ。

 

 

 

ハトムギ茶を飲め ”

 

 

 

そう、あの非電化カフェのメニューでもお馴染みハトムギ茶。

 

 

ハトムギ茶の原料となるハトムギーーー正確にはその種皮(殻)を除いた種子である薏苡仁(ヨクイニンと読む)ーーーには、抗腫瘍作用があるとされ、漢方や民間療法においても薬として用いられてきた。

 

 

 

ちなみに、やっぱり我らがウィキペディアによると、

ヨクイニンの服用で約600人の37.6%の人々で イボ がなくなったという研究結果がある。成人未満の方が有効率が高いのではという研究結果がある。よく苡仁 - Wikipedia

とのこと。

 

 

 

 

なるほど。

 

 

 

 

37.6%とは、決して高くはない数字であると思うけれど、でも決して低くもない数字であるとぼくは思う。

 

 

試す価値は大いにある。

 

 

 

いつも飲んでいる麦茶に、鳩を加えればいいだけだ。

 

 

 

それに、成人未満だと確率が上がるというではないか。

 

 

これは今のうちである。

 

 

 

 

うんでもそうだ、ここでひとつアイデアが思い浮かぶ。

 

 

 

ハトムギを育ててみよう。

 

 

 

調べてみると、野口のタネ/野口種苗研究所の2019年トップページにてしっかり販売している。

 

 

これを、自分で栽培してお茶にする❗️

 

 

 

🕊🌾

 

 

 

固定種のタネ

 

畑に蒔いて大事に育て

 

穂が出て秋には刈り取り

 

脱穀して来年のタネを増やし

 

一部は非電化冷蔵庫で保存

 

煎り上手(コーヒー豆焙煎器)で焙煎して

 

お湯で煮出してお茶にして

 

毎朝飲んでから畑の作業へ

 

来年のタネがまた増えて

 

今度はお茶販売してビジネスに

 

元は取れて イボ は取れて

 

 

 

 

 

なんと夢のようなライフスタイルであろうか。

 

 

 

 

 

とりあえずまず誰か、畑を貸してくださいな

 

 

つづく(?)

 

 

おぼえがき

 

はじめまして。

 

下島匠です。

 

 

いきなりですが、

 

最近小さく死にました。

 

 

(言葉の意味としては、一つ自分の中で転機があったのだと、言い換えてもいいかもしれません。)

 

これまでの人生でこびりついてきた価値観を、棄てるために小さく死にました。

 

生まれながらに持つ自らの想像力を、引き出すために小さく死にました。

 

なんとなくですが、人生一度は訪れるであろう本気で死んでしまいたいときに、小さく死んだ経験はきっと心の支えになるのではないかなと(思います)。

 

 

 

覚え書き

 

さて、この機会に、本ブログのタイトルも変更しました。

 

辻信一さんの言葉をお借りします。

 

メモではなくて、

こころにとめる、とどめる、とどける

そのための覚え書き。

 

 

ホントのところ、はてなブログはやめようかなとも思ったりします。

 

自分を発信するためにと始めたこのブログ。

 

残念ながらそのためには向いてない気がしていて、やっぱりこの顔が見えない関係性と、これだけの情報の中に自分の言葉が埋もれてしまう感覚。

 

つまりはこのシステムがやなんだけど、でもやめてしまうのはそれはそれでもったいないので笑、もう少し気ままに、それこそスローに続けていけたらと考えてます。

 

 

その日あったことを書き連ねる日記として。

 

読んでいれば知識を得られる情報として。

 

急いでるときや忙しいときに、忘れてしまうために走り書くメモとして。

 

そんなものたちよりも、少しだけ大事に。

 

 

 

おぼえがきとは、

懐かしい未来のための備忘録。

 

 

 

「サティシュの学校」

 

小さく死んで、小さく生まれ変わって、(と感じて)

ぼくは横浜市戸塚区の善了寺にいました。

 

ストローベイル工法で建てられた、御本尊阿弥陀如来の慈悲をいただく空間で、映画をひとつ。

 

『サティシュの学校 みんな、特別なアーティスト』予告編 - YouTube

 

辻さんが話すには、

これはドキュメンタリーではない。

 

サティシュの言葉を=サティシュの学校を、

ありのままに映像として記録しただけに過ぎないのだと。

(だからこそ美しいのだけど)

 

 

だとしたら、それを共有する空間にいたぼくらは、観客としてよりも、サティシュの言う 友達 として加えてもらっていたのかもしれない。

 

 

話は少し飛びますが、

サティシュは、人に師と呼ばれることを嫌い、誰に対しても友達としての関係であろうとするそうです。

 

友達とは、共にたのしむ間柄であり、

仲間とは、共に何かをクリエイトする間柄である。

 

ーーー藤村先生は、そう説きました。

 

仲間(力)の重要性を伝えながら、その言葉には、人生を共にたのしむ(=楽しみ、愉しむ)ためには、良き友達を持つことが不可欠である。

そんな意味も含まれてたのかもしれません。

 

 

今になってそう感じるのは、最近、良き友に恵まれたからでしょうか。

 

勝手に誤解して、仲間だけを求めていた時期もたしかにあって笑、それだから、今はとても生きてることがたのしい。

 

:)))

 

 

 

f:id:shimojimoma:20190607174853j:image

 

 

 

サティシュという人物について、

辻さんは、“楽観主義” であるとも語ってくれました。

 

それは、単に楽天的であるのとは違い、現実を見据えた “楽観主義” であること。

 

平和運動家として生きていれば、ときに悲観的になるようなこともある。

もちろんそうでなくても、人間いつかは必ず訪れる死。

 

そういった現実(死)から目を背けずに、一つ一つの本質を見抜いていくホンモノの勇気。

 

 

辻さんは、自身は一日の半分くらいを悲観的に生きてしまう(こともある)と、笑いながら言ってくれました。

 

いつ会っても笑っているサティシュを、友として心から尊敬すると。

 

 

 

Imagination

 

映画の中身。

 

とにかく(さっきも言ったように)すべてが美しかったのだけど、観ながらで、一番に引っかかったとこ。

 

 

学生への講義の中で、サティシュは、

世界が5つの要素でできていると言いました。

 

土、空気、火、水、想像力。

 

これらすべては欠けることできず、

そして何より今ここに「ある」のだということ。

 

特に5つ目の要素は、人間だけでなく万物が持ち合わせる特性であり、何かによって取得するものではない。

 

 

ぼくがそれを聞いて思い出したのは、一ヶ月ちょっと前に観た、NHK『欲望の資本主義』でした。

 

人間は、「イメージ」の中に存在しており、

その「イメージ」をつくりだせることを、「自由」という。

 

そんな(ような)ことを言ったドイツの哲学者。

マルクス・ガブリエル。『なぜ世界は存在しないのか』著者。

 

彼の主張する「新しい実在論」とは、

(まだ全然理解できてないので要すれないけれど)要するに、

 

すべての存在するものを包括している「世界」とは、自体は何にも包括されていないため、どこにも存在していないといえる。

それぞれのパースペクティブによってつくられた「イメージ」でしかなく、しかしその「イメージ」をつくりだせることが、ぼくらが本当の意味で「自由」に生きていることである。

 

そんな感じで合ってるかしら。笑

最後はちょっと拡大解釈かもしれない。。。

ぜひ実際に読んでみてください❗️

 

↓↓↓

 

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

 

 

想像力とは、「ある」ものであり、何かに固執した瞬間失ってしまうと、サティシュは談ってくれました。

 

未知なるものを探求する力ーーー想像力。

 

自由な人生を歩んでゆくために、まさしく「欲望の資本主義」社会に埋もれず、想像力を養い、自分の歩む道を作っていく。

 

だからもちろん簡単ではないのだけれど、想像力豊かに生きることは、シンプルで美しい暮らしを実現することにつながるのだと思います。

 

 

 

From the seed of imagination, the tree of life grows.

 

想像力の種から人生の木は育つ

 

 

 

みんな、特別なアーティスト

 

サティシュはこうも続けました。

 

想像力の中では、私たちは皆、アーティストとして生きることができます。

アーティストとは特別な人のことではない。

誰もが特別なアーティストなのです。

 

 

想像力が、手に入れるでなく、「ある」ものであったように、

アーティストも、「なる」ものではなく、今ここに「ある」ものだと、感じられます。

 

 

では、アーティストとして生きるとはどういうことか。

 

それをイメージするには、アーティストとして生きるための仕事をすることだと、サティシュは言います。

 

職を探したり雇用を求めたりするのではなく、

想像力を発揮して自分で仕事を作り出す。

 

人々が、田畑を耕し、家を建て、地域の中で暮らしてきたように、

コミュニティの一員として、技能を提供し合って一緒に働く。

 

それこそが、愛と創造性と想像力に満ちた(=好きな)仕事となる。

 

 

 

「生きていることは神秘に満ちている」

 

去年の4月、非電化工房の入学式、藤村先生の第一声はこうでした。

 

 

「自分が何をしたいのか」「自分が何になりたいのか」

考え続けて、そこに成果(結果)を求めるよりも、

 

「お金がないと生きていけない」

そう信じて、消費者として雇用されるよりも、

 

それよりもまず、生きていることがいかに素晴らしくアーティスティックであるか。

 

 

その気づきは、その気づきだけでまず生きていくことができるし、生きていくことができればそれ以上何も考えることはないのではないでしょうか。

 

きっと、したいなりたいと考えるより先に、それをしているしそれになっていて、

 

お金はそのための一つの手段として用いられるのだと思います。

 

 

非電化工房的生き方とは、アートとしての技術を共有して生きていくこと。

 

藤村先生が、

「ぼくの能力もきみたちの能力の一部だ。だからきみたちにできないことは(ほぼ)ないと思ってくれていい。」

と言ったように、

 

技術を共有すれば、そのコミュニティ(世界)でできないことはなくなってゆくと、ぼくはたしかにそう思います。

 

そのための一歩目となる価値を、「ワークショップ」は持っているのかもしれません。ー

 

 

 

最後に、サティシュは「アートは変革のプロセス」であると言いました。

 

変革とは、生きること。

 

想像力を働かせて、料理をし、食事をし、畑仕事をし、ものづくりをし、、、ぼくらは自分自身を変革している。

 

料理、食事、畑仕事、ものづくり、、、といった人生における全ての仕事は、(想像力の中では)アートなのです。

 

 

 

Life is a journey of  transformation.

 

人生は変革の旅なんだ。

 

 

 

『サティシュの学校 みんな、特別なアーティスト』より

 

 

 

記事中画像は、https://www.schumachercollege.org.uk/love-is-allより引用

 

 

「スロー」の対義語は「ファスト」であり、

「スロー」の対義語は「スピーディ」である。

 

ということはつまり

 

「ファスト」に対義している「スロー」は、

「スピーディ」とは対義していないと考えれば、

「スロー」と「スピーディ」は共存することができる(?)

 

スローライフ」が決して非効率でないことや、

忙しいと感じることがあるのは、

そんな言葉の意味構造に対する認識の違いであるといえるのかもしれない。

 

 

先生の生き方が穏やかで烈しいように、

 

先生の声はいつも優しく厳しい。

 

 

優しさの中に見せる厳しさは、決して冷たいのではなく、

その厳しさの中には、やはり優しさが見える。

 

 

だからであろうかどうなのか、先生の声が時折、おりてくることがある。

 

 

いくら思い出そうとしても思い出せなかった音が、そのタイミングで、おりてくることがある。

 

 

忘れたくないと感じた言葉は、本当に忘れたくないから紙に文字としてのメモをとる。

 

見返そうとすればいつでも見返すことはできるし、それに、書くという動作が入ることで、忘れにくく、思い出しやすくなっているのだと思う。

 

でもその場合、見返すのは、思い出すのは、メモとして紙に在る文字でしかなく、

書くという動作が間接に入ることで、おりてきづらく、思い出しやすくなってしまっているのだと思う。

 

 

先生の声ーーーおりてくる

先生の声ーーーメモの文字ーーー思い出す

 

 

おりてくるときの、そのタイミングは秀逸だ。

 

自分が望んだときにおりてきてくれるのでなく、

むしろ自分が望まないときに戒として、

あるいは望むことすらしていないときに一筋の光として。

 

天の声とでもいえるようなーーー実際には自分の内なる声として、おりてくる。

 

もちろん一ヶ月半ぶりに先生に会ったことが関係しているとは思うけれど、そのときに響いてきた声よりも、半年前の声が、ぼくの胸を震わせた。

 

 

非電化工房に弟子として住み込んでいたときは、役割を果たす未来の自分のために、自分の役割が何かを探す方法を学び、

そういった意味でその今の自分が未来の自分のために果たせる役割を全うしていた。

 

 

自分の役割は、自分を未来に進めてゆくことだった。

 

 

もし、この声が、「ここで果たすべき自分の役割が何なのかわからない」と、一人嘆いていた(笑)あの頃の自分の下におりてきていたら。。

 

でも、この声は、ここしかないタイミングで、ここのぼくの下におりてきた。

 

 

なんとも皮肉なもので、

 

 

まったく仕合わせだ。

 

 

 

f:id:shimojimoma:20190602204606j:image

 

 

 

もう少し続ける。

 

 

 

最近、3つくらい、嘘をついた。

 

一つは、言い訳。

一つは、雰囲気。

一つは、つよがり。

 

最悪だ。

 

1コ目と2コ目なんて、今考えなおしても、何を考えていたのか心理がわからん

 

こうやって信用を無くしてきたのだな。

 

 

そう思うと3コ目はまだいい。(よくはない。)

 

大好きな人の前では善く振る舞おうとしたり、、

口先だけのかっこつけた言葉を吐いたり、、

 

そうやってつよがることは、つよくなるための一歩目になりうる。かもしれない。

 

自分で責任とれる範疇で収まるようにだけ、注意したい。

 

うそつき

 

人生、幾度となく嘘をついてきた。

 

大っきな嘘も、小っぽけな嘘も、相手を悦ばせようとした嘘も、自らを犠牲にした嘘も、とりかえしのつかないような嘘も、、、

 

どうせつくならバレない方がいいし、バレバレな方がいいし、つかない方がいい。

 

中途半端な嘘は、人間を寂しくする。

 

 

ひとつ問題なのは、自分の実力以上を褒められたときで、それはその人からはそう見えただけで、その人にはそう見せてるだけで、、なんてことがある。

 

褒められた分だけそこに近づけるなら、それは効果としてとてもいいけれど、

でも、それが今の自分にとってはあまりにも遠いとき、近づこうと焦るのでなく、自らの心を閉じるでもなく、勇気を出して打ち明けなければならないのだな。

 

 

少し最後、まとめが雑になってしまうけれど。

 

今日の記事は言葉の性質について。

 

正直、今はまだ理論付けて話せることではないけれど、

なんでも言葉にすることが正しいことだとは思えない。思いたくない。

 

 

一度発した言葉を取り消すことはできないし、

発することをやめた言葉を発しなおすことはできないし、

 

何も知らないからの言葉はあくまで慎重でありたいし、

知っているからこその言葉は知られているからの言葉にはしたくない。

 

 

ただ、「話すから考える」というのがすごくよくわかるから、話せないなりにをこのブログの中で表現できたらいいな。

 

 

なんとなく目指すところは、先生のように、精神に対する年齢に見合うものを持ち、その場に相応しい言葉を短く美しく伝えることであろうか。

 

 

さてさて時間になったので。

 

https://www.facebook.com/events/2139143006177371/?ti=icl

 

イベントに参加してきます。

 

辻信一さんとソーヤ海さんのコラボ。

 

しあわせってなにか?

経済(お金)ってなにか?

地域とどう関わってくか?

 

まさに今考えてることとドンピシャな。

 

 

たのしみだ。

 

 

今週末!新潟県十日町市にて、機織機を一緒に作ろう♪

 

突然の告知❗️^ ^

 

先日、沖縄から実家の方に帰ってきまして、色々なイベントに顔出したり、おもしろい方と出会い繋がったり。。

 

まったくブログの方は追いついておりませんが笑、今度は新潟に行ってきます。

 

場所はこちら。

 

古民家ゲストハウス やまねこ

 

もうまず何よりこの空間とネコたちに出会いに来ていただきたい。。。🤤

 

何をするかって、機織機をつくります。

 

機織り体験ではなく、機織機をつくります。

 

これです、機織機をつくります。

 

f:id:shimojimoma:20190523000446j:image

 

今度の土日、見学・体験・おしゃべり(笑)無料ですので、ぜひお越しください。(詳細は記事の一番下にあります〜↓↓↓)

 

土曜日の作業終了後は、上映会とやまねこめし(オカズ持ち込み食事会)も〜〜!

 

 

機織機って、、なんで。。

いやほんと、「機織機をつくる」って言うと、

「すごーい」とか「ありえない」とか「...」とか、

そんな反応の後に必ず「なんで???」と。

 

じゃあ、機織機のーーー機織機をつくることの価値はどこにあるだろうか。

 

 

機織機の持つ機能は、糸と糸を織りなし布をつくること。

 

それだけだ。

 

その割には、大きくて邪魔で、なんか複雑な構造で、その上値段は馬鹿みたいに高い。

なんて勝手なイメージをお持ちじゃないだろうか(ぼくがそうだった)

 

複雑な構造というのは、ひとつひとつ見ていくと案外そんなことなかったりする。(それまで機織機をじっくりと観察したことなど(少なくともぼくは)なかったから。)

 

大きくて邪魔だと感じるのは、それはマンションに住んでる人には置いておくスペースはない。(ちなみに田舎は土地が腐るほど余ってる。)

値段が高いと感じるのは、それはきっとユニク□の服(がつくられるの)が安すぎるのだ。

 

まあでもそんなこと言っても、現実はすぐには変わらない。(多くの人は都市に住み続けるだろうし、ユニク□はさらに安く売っていくだろうし、)

 

そこで、今ぼくが考えているのはこんなこと。

 

「シェア機織機」

 

機織機を持っているからといって、毎日織って織ってその布を販売して生計を立てる(とか)なわけでもないのだから、(一家に一台ではなく)近所に一台あれば事足りるのだ。

(カフェとかレストランとかゲストハウスとかそんなところに置いてあればもっといい!)

 

月3万円ビジネス的に考えれば、

 

ワークショップを開催して一台の機織機を何人かでワイワイガヤガヤつくる。

機織りが上手な方を一人講師として呼んで、織り方を学ぶ。

近所のみんなにちょっとずつ貸し賃だけはもらって、機織機をシェアー

 

みたいな。^ ^

(これなら一種の小さな事業性が生まれる。。かしらん)

 

 

機織機の持つ機能は、機織機だけが持つ機能である。

 

機織機がなければ、糸と糸を織りなし布をつくることはできない。

 

究極は、“衣” の自給だ。

 

正直言って “衣” に対する重要性は、ぼく自身とても低いものだった。

 

でも、自分でつくった “食” に対する心の奥底からのおいしさや、自分で “住” をつくったことの想像だにしなかった愉しさのように、

自分で “衣” をつくることはきっと幸せに満ちたものになると、今はとてもワクワクしている。

 

 

沖縄で、あるプロジェクトをはじめようとしている方に出会った。

 

小さくはじめた畑の一角に、蒔いた種から出たばかりの綿花の芽を、大事な心で育てていた。

 

土に還る服づくりプロジェクトin沖縄

 

一耳聞いて、その言葉に惚れた。

 

 

 

機織機のーーー機織機をつくることの価値は、ここにあるのかもしれない。

 

 

 

🧵イベント情報🧵

日程:5月25日(土)26日(日)

時間:10:00〜17:00くらい

場所:古民家ゲストハウス やまねこ

参加費:無料

お申し込み:機織機づくりの見学や体験は特に申し込み必要ありません。上映会、やまねこめしに参加される方は人数を把握したいため、お手数ですが下記のfacebookページよりお申し込みください。      https://www.facebook.com/gh.yamaneko/

 

 

 

織機をつくる (シリーズ・子どもとつくる 13)

織機をつくる (シリーズ・子どもとつくる 13)

 

↑↑↑この本おすすめ!わかりやすい!